西郷隆盛と勝海舟との談話描写 津本 陽

作家の津本 陽氏は、著書の「春風無刀流」の中で
西郷隆盛勝海舟との談話風景を巧みに描写している。

世に西郷南洲遺訓として「命もいらず、名もいらず、
官位も金もいらぬ人は、仕抹に困るもの也、此の
仕抹に困る人ならでは艱難を共にして国家の大業は
成し得られぬなり」と西郷本人が語ったと伝えられている。

津本 陽氏は当時の情景描写として以下のように表現している。

「その時であったよ。西郷がため息をついていうには、さすがは徳川公だけ
 あって、えらい宝をお持ちだ。
 というから、どうしたと聴いたら、いや山岡さんのことですというから、

 どんな宝かと反問すると、いやあの人はどうの
 こうのと言葉では尽くせぬが、何分にも腑の抜けた人でござる。

 というからどんな風に腑が抜けているかと問うたら、いや命もいらぬ、
 名もいらぬ、金もいらぬ、といったような始末に困る人ですが、
 但しあんな始末に困る人ならでは、おたがいに腹を開けて、
 ともに天下の大事を誓いあうわけには参りません。

 本当に無我無私の忠胆なる人とは、山岡さんのごとき人でしょう。
 とて
 西郷は驚いておったよ。世に西郷の格言とて、
 命も名も金もいらぬ人は、始末に困る、云々と西郷がいえりと伝えられている
 言葉は、明治維新の際に、右愛宕山上にて山岡を評した言葉が、ついに
 格言として訛伝せられているのだ」
 
 明敏な海舟は、鉄舟の純一無垢の心情を
 理解し、終生愛していた。