国家の崩壊(佐藤 優・宮崎学)に学ぶ

ブレジネフ時代のソ連について、示唆に富む記述があった。
ブレジネフは1964年10月、フルシチョフ失脚を受けて
ソ連の首相に就任し、1982年11月に死去したリーダー
在任当時のソ連の社会生活は、以下のような流れであったという。

午前9時始業〜午後5時閉店 を基本としたが、実態は

午前10時半     出勤; 午前11時半 お茶;
午後 1時〜午後2時半昼食;
午後 2時〜午後4時 仕事;
午後 4時      終業;
毎週土日は、ほとんどの国民が「ダーチャ」という菜園付き別荘を
保有していた。
夏は2か月間の休暇、一年間に2か月はホテル住まい。
費用は全て労働組合が補てんしてくれた。

「母性英雄」制度というものがあったが、人口政策で失敗した。

この「母性英雄」制度とは、女性が10人子供を産むと英雄になれる。
また、行列に並ばなくてもすみ、閣僚級の高額な児童手当をもらえ、
御殿に住むことができるという制度であった。

この制度はロシア人は増えず、中央アジアイスラムウズベクキルギス
の人口が増加し、21世紀前半に、ムスリムと非ムスリム人口が逆転する
と予測された。

現在の日本の少子高齢化を打開するため、人口をなんとか増加させる仕組みを
検討しなければならないが、他山の石として学ぶ必要があろう。