人生の歩き方(3.人生観)

3.「人生観」について

人の一生は誰しも、一度しか与えられないかけがえのない貴重なものです。

それ故、自分の人生を真正面から見つめ、「これからどう生きるべきか?」
「どうすれば自分の納得する人生を送ることができるか?」を自らに問いかけ、
悩みながら、自分なりの答えを引き出し、行動に移す工程作業が必要です。

しかし、現実には自分が思い描いた人生の設計図を持ち、
そのとおりに人生街道を歩んでいる人は極めて少数だと思います。

今、与えられている環境を甘んじて受け入れ、その中で家庭生活・職場を
通じて社会人としての行動の中に、特に意識することなく、時を過ごしている
人々の方が圧倒的に多いのが現実の姿であろうと思います。

人は死に直面した時に、生きる価値を改めて実感し、生きることの喜び・意義
を体感するのかも知れません。

ひとつの参考として、私の人生観が大きく変わった実例を紹介します。
私は不思議なことにこれまで交通事故等で4度も生死の狭間に遭遇する体験を
重ねてきました。

その中で特に鮮烈な体験は、中学二年生の正月のことでした。
神社に家族で初参りをした帰路、母が運転する車が陸橋のちょうど頂上に
さしかかったところへ、後続のトラックがエンジン全開でアクセルをふかしながら、
追い越しをかけてきました。

追い越そうとスピードを上げた瞬間、丁度対向車線には別の大型トラックが
目前に迫ってきたのに気づいたトラックの運転手は正面衝突を避けようと大慌てで、
ハンドルを左に切りました。

その瞬間、私の乗った車は、ちょうど迫り出されるように、左側の一輪が道路から
脱輪し、車体は徐々に傾いていきました。

車の中では少しづつ、車体が傾きかけ、時間にすればほんの数秒のことかも
知れませんが、車中に閉じ込められた人間にはあたかもスローモーションビデオの
録画を見ているように時間が長く感じられました。

まさに自分の体も車と一緒に回転しょうとしている中で、180度位までは
はっきり意識があったのを覚えています。
意識を失う直前に走馬灯のように、これまでに体験した短い人生の中で
楽しかった思い出だけが脳裏に浮かび、頭の中を超高速で回想したことは、
赤裸々に生々しい記憶として残っており、
今も忘れられない強烈な体験として鮮明に頭の中に焼き付いています。

結果、車は二回転し、がけ下に落ちましたが、幸いなことに炎上せず、
逆さまになった車中から、蜘蛛の巣状にひびが入ったフロントガラスを足で
蹴破り、同乗していた家族とともに這い出し、運良く全員が無事に助かることが
できました。

この実体験が強烈なトラウマとなり、私の人生観を大きく変えてしまいました。

生と死が文字通り紙一重であること。その境目は運としかいえず、
人間の力ではどうすることもできない「運命」が実在するという実感でした。

4度の事故を通して死の瀬戸際を体験したことで、死というものが
いわば偶発的に訪れるものであること。

自分が、務めを果たすまで神によって生かされているのではないか
と感じました。

この世の中の森羅万象全てが無常であり、現在与えられている
自分の人生も、たまたま今、与えられているだけであり、いつ奪われるか
誰も予測不能であること。
それだけ、自分なりに納得する己の生き様を自分なりに思い描き、
自分の足で立ち、一瞬一瞬を大切に過ごさねばならないと自分に言い聞かせ、
自分の人生観を確立するための作業を行いました。

事故で自分は一旦死んだものと思い、現在の自分の人生は拾い物の人生で
あるとの認識をもつことが出発点でした。

宇宙の中にある地球、その中で何万年もの間、辿ってきた人類の歴史の
視点で見れば、人の一生は微細な瞬きに過ぎない小さな存在であり、
その中で唯一与えられた今の自分は一度しかない貴重な時間・チャンスと
前向きに捕らえては如何でしょう。

過ぎた時間は二度と戻ってきません。
あの時にこうすればよかったという「たら・れば」は全く意味を持ちません。

自分に忠実に自分なりの生き方を真剣に模索し、一生懸命に生きる心掛けが
重要であるという認識を持つに至った次第です。

剣聖 宮本武蔵の語る「我、事に於いて後悔せず」という言葉こそ
剣の真理を具現していると考えます。

また、人臣としてこの世の栄誉栄華を極めた豊臣秀吉も辞世の句に
味わい深い言葉を残しています。
「露と落ち露と消えぬるわが身かな 浪花のことは夢のまた夢」と
秀吉ほどの立身出世を果たした人物でも、自分の人生を終える間際に
なって振り返ると、それは、ある一時の夢のようなもので、はかないものなのだよ!と
秀吉の呟きが聞こえてきはしませんか。

これまで触れてきたことは、ことさらに儚さや無常観を強調しているわけでは
ありません。

自分が死に臨んだときに、走馬灯のようにこの世で思い出す想い出や
人生の旅路が自分なりに満足のいく「いい人生であれば善し」とし、
「最後の一瞬の自己満足を人生の美学とする生き方」であり、
「人生を楽しむ生き方」を模索する決意を固めることが大切に思えます。