「新歴史の真実」・「第四の国難」(前野 徹)に学ぶ

(はじめに)
前野徹氏は、81歳で既に他界されました。
今、我々が直接教えを乞いたくとも叶いません。

先生は、現在の日本が抱える危機感を説き、本当の日本の歴史を伝え、
日本人が先祖から引継いできた日本精神・美徳を説き、
次世代の若者に誇りを持つよう訴えてきました。

皆さんに是非「新歴史の真実」を熟読していただきたいと考えています。

無名塾の講義テーマメニューの6.「日本人として知っておきたいこと」
を補強する知識として先生の著作の一部を要約し、纏めてみました。

我々は、歴史の真実を紐解き、日本人としての自信を取り戻し・
民族の誇りを取り戻さねばなりません。

本日以降、数回に分けてお伝えしていきたいと思います。
  
(著作要約)
前野徹氏は現在日本が直面する危機を「第四の国難」と表現している。

蒙古襲来、明治維新、太平洋戦争の敗戦に匹敵する危急存亡の時を迎えている
と認識するほど異常な閉塞感が日本を覆っている。
だが、私たちはネズミと違って、この国からは逃げ出すことはできない。

戦後、一度も国家を真正面から見据えて来なかったため、
国家観や国家目標を持ちえていないため、自分たちの不安の正体もわからない。
そのため私たちはその本質をしっかり見つめる必要がある。

国の意識や国としての独立、尊厳を顧みず、教育制度も日本人の精神のあり方も
米国に言われるままに作り直してきた結果、日本と日本人の自立が損なわれ、
甘えと欺瞞を助長してきた。

かくして、かつて日本人の美風であった礼節、勤勉性、忍耐心、公徳心、
名誉を守る信条、勇気といった固有の心と魂が雲散霧消してしまった。
自分さえよければいいという私利私欲主義、目前の損得主義が蔓延している。

と同時に、国家観を失った日本人にとって、社会の夢と自分たちの夢が乖離し、
日本人としての生きる目的を社会の中には見出せなくなった。

個々で夢を探せといっても、夢は本来、社会との関係性の中にある。
結局、行き着く先は自分がよければとなってしまい、
これがまた利己的な行動に結びついていく。

不登校の児童、生徒が増加しているのも根は同じである。
自国の歴史と自分たちの祖先にプライドも尊敬の念も持てない親たちに
育てられた子供たちが、まともに勉強し、周囲の人々と交わりたいと
思うはずがない。

日本人の道義は地に堕ち、今や凄惨な事件にもわれわれは不感症に
すらなりつつある。動物でさえ親子の愛情は山よりも高く海よりも深い。
現在の一部の日本人は畜生以下である。

私の知る限り、過去に日本民族の精神がここまで破壊されたという
歴史はない。
自分たちの育つ祖国や先祖を否定する。これはとりもなおさず、
自分という存在を否定していることにほかならない。

しかし、人間は自己否定では生きられない。
子供たちは自己防衛の手段として、国を考えることをやめた。
そして、自虐史観が深まった反作用として生まれたのが、
国籍だけは日本だが、日本人ではない「無日日本人」である。

日本人と無日日本人の違いは何か。
私は日本の歴史と文化を尊重するかしないかで一線が引かれると考えている。
無日日本人の「無日」とは、すなわち日本がない、日本の国民としての
アイデンティティを持たない人間を私流に定義した言葉である。

わかりやすく言えば、国に無関心、政治に無関心、周囲の人間の気持ち
に無関心な人々で、国家観や民族を軸とするアイデンティティがないので、
自分が何者かもわからない。

だから生き甲斐もなければ、何のために生きているのかさえもわかって
いないし、そもそも国や自分や社会が何かを考えてみたこともない。
そこにあるのは動物的な本能と欲望だけである。