新歴史の真実・第四の国難(前野徹)に学ぶ(2)

昭和45(1970)年以前は、学校でいくら反日思想を吹き込まれても、
家庭にはまだ日本のよき伝統、よき価値観が残っていた。 
無日日本人はそもそも国という概念は自分たちの考えにないのだから、
政治には関心がない。
だから、選挙は棄権する。当然、故郷を愛する気持ちもない。
親も認めないし、親孝行も認めない。公の秩序など考えたこともない。 ・・・・
これが戦後60年、日本が培ってきた民主主義の哀れな末路である。
戦後の民主主義は、歴史や伝統、先祖、社会の成り立ちといった「縦軸」
を無視し、個人の権利ばかりを主張する「横軸」に終始してきた。

この横軸民主主義が欲望だけを膨らます人間を育て、現在のような
殺伐とした社会を醸成してしまった。
金のためなら何でもやる。他人への思いやりや、やさしさのかけらもない、
金の亡者が巷にはあふれている。

われわれの先人たちが血と汗と涙で築き上げ、継承してきた礼節を知る心、
勤勉性、忍耐心、公徳心といった日本人の心と魂は、戦後60年日本を
支配してきた文明、欲望横軸民主主義、悪平等責任主義、問題先送り主義
などによってすっかり排除されてしまった。

誤れる戦後文明病からの脱却・ 国難突破、日本の甦りの大きな鍵は、
誤れる戦後文明病からの脱却である。

今、日本を覆う閉塞感は、経済不況のせいといった生やさしいものではない。
戦後文明の限界がここに来て噴出し、戦後文明の瓦解に差し掛かっていること
への不安がこの閉塞感を生んでいる。

GHQが作り上げた戦後文明は、経済成長こそもたらしたが、
それは単に日本という国の崩壊への一里塚でしかなかった。
戦後60年近く経って、今、日本は断末魔のうめき声をあげている。

京都大学中西輝政教授は、戦後文明病の病巣を「バランス」という
観点から捉えて次の3つに分析している。

ひとつは「心」と「物」のバランス。
日本は驚異的な経済成長を遂げたが、国民の中から「心」、
人間本来の魂が欠落した。
80年代になると、日本の物質文明は世界一になり、これ以上の豊かさが
はたして必要かといったところまで来たが、その後も拝金主義は改まるどころか、
すべて金で解決しようという風潮がさらに進んだ。
「心と物のバランスを失うと、必ず人間は滅びていく」と中西教授は語っている。

 2つ目のバランス崩壊は「伝統」と「進歩」。
本来、この2つは人間社会に必要なものだが、戦後社会は進歩だけを
ありがたがって、伝統はなおざりにしてきた。
これについては、何度も指摘してきた通り、「日本の伝統は悪」という
占領政策に起因している。

3つ目は「個人」と「共同体」。
共同体は国家や社会という言葉に置き換えられるだろう。
戦後、日本的な集団は全部悪い、個人を抑圧するという理由で国家や社会は
敵対するものという考え方が根付いている。
だが、中西教授によれば、「しかし、個人を幸せにするのも、人と人との絆
なんです。あるいは共同体に所属していることの喜び、その中でしか人間は
真の自由を享受できないのに、全部断ち切って裸の個人になった砂漠の自由、
そんなものはだれも求める自由ではありません」。

個のみを尊重し、国家や社会を顧みない戦後文明は、拝金主義、
横軸欲望民主主義を生み出し、ついには無日日本人を作り上げてしまった。
この戦後文明病をどう治療していくか。原点に戻って考え、パラダイム
一から作り直し、まったく新しい文明にシフトしていくしか方法は
ないのでは、と私は考えている。