国家再建への道標−2

国家再建への道標−2

日米安保条約で日本に安全保障を与えたことで、軍事費負担が軽減された
日本は官民一体となって基幹産業の育成・財政投融資活動に専念できたこと等
諸環境にも恵まれ、日本経済は目覚しい急成長を遂げることができた。

一方、米国は国内産業界からの多少の反発があっても、米国製品の有望な
輸出マーケットとしての日本の位置づけや、経済規模でも米国に劣る日本に
対する優越感もあり日本の高度成長を政治的に容認してきた。

しかし、日本の位置づけも米ソの冷戦の終結とともに変化を迫られ、転機は
1980年代に訪れる。

経済規模を膨らませた日本は米国にとって安全保障上の脅威へと変化し、
米国はこれまで日本の経済成長を支えてきた日本固有のルールを分析し、
グローバルスタンダード(=米国モデル)への同調を求め、
国際社会の枠組みの中に組み入れようと動きだした。

米国は日本が急成長を実現してきた日本固有の原因・背景を詳細に分析し
日本のオーバープレゼンス是正を目的に据え、個別に変化を迫る戦略を敷いた。

これまで、戦後日本の成長を支えてきた主な背景には、

① 固定低金利による金融ファイナンス
② 国民の高い貯蓄率
③ 終身雇用制と勤勉な国民性
④ 土地の価値は永遠に上がり続けるという土地神話の存在
⑤系列取引    などがあり、日本の競争力の源泉として認識された。

こうして、日米構造協議などの政府間交渉の場で要求された内容が金利自由化、
金融自由化であり、金融ビッグバン等、米国からの年次改革要望書に繋がった。

この結果、日本の金融機関の調達コストは従前と比し大きく上昇したのみならず、
これまで日本の成長をある意味で支えた金融慣行も大きな変革を迫られた。

また、日米円ドル委員会・フォローアップ委員会・プラザ合意へと繋がる政治の
流れを受け、急激な円高が進行し、これまで輸出立国として生業を立ててきた
日本の産業界に極めて大きな衝撃を与えた。