国家再建への道標ー3

急激な円高の進行により、輸出企業は自らの生き残りを掛け
生産拠点を少しでも生産コストの安いアジア諸国にシフト
せざるを得なくなった。

これまで大企業を支えてきた下請け中小企業への発注が減り、
大企業傘下にある中小企業に重大な影響を与えた。

日米構造協議、金融協議、建設協議・・と、本来あるべき
国家間の調整窓口としての外務省の役割は軽視される形で、
個別分野毎に協議の場が設けられ
規制緩和」の名の下に着実に障壁が崩されていった。

特に金融面では、日本のオーバープレゼンス是正を明確な
目的として謳った第一次「BIS」規制(信用規制)が発動されたが、
第一次規制では日本へ与える影響が十分でなかったこともあり、
続いて「BIS第二次規制」が導入されるに至り、銀行は企業に
対する融資面でも自己資本に応じた種々の制約を受ける形となり、
株式の持ち合いの縮小などそれまで永年に亘り構築してきた企業
との取引関係や絆の面でも大きな影響を受けた。

こうして、日本固有の強みが崩れていくのに歩調を合わせ、
構造改革の流れを受け、日経平均株価は1989年12月29日に過去の
最高値38,915円をつけたのを最後に2009年3月10日には7,054円を
つけるまで釣瓶落としの急激な下落を辿った。

また、数年遅れて不動産価格も暴落が続き、株・不動産とリンク
する資産価格の急速、且つ大幅な下落が、融資面の担保不足をもたらし、
追加担保が提供できない環境下、金融機関は担保に見合う範囲まで
融資を縮小せざるを得なくなり、株・不動産の無理な売却が更なる下落を
招くという悪循環が続き、結果、日本経済全体の信用収縮に繋がる
「信用の負のスパイラル」を招くに至った。

こうして「バブルの崩壊」となって数多くの企業倒産が現出し、
日本の資産評価ベースで数百兆円以上の莫大な国家損失をもたらした。

この間、政府は民需が失速する中で大量の国債発行を通じ、下がり続ける
民需を官需が支えるべく、建設・土木などのインフラ投資を中心で必死に
国内経済を支えた。

この結果として、日本の財政は大きく傷み、地方を含む累積赤字が
1,000兆円を超え、債務超過の悪夢も迫っている。

最早、過去の延長線上で財政出動により経済の再生を図っていくことは
許されなくなってきている。