土光 敏夫氏に学ぶ

土光 敏夫氏は1896年9月15日、岡山市に生まれ
1988年8月2日に逝去された。

氏は企業再生の神様と呼ばれ、理路整然とした合理的思考を持ち、
常に斬新さを探求し、創意工夫、現場第一主義の大人物であった。

氏の言葉;

生まれてきた以上、各自がこの自分の一生をどう生きるかを真剣に
考えるべきだろう。

このことだけは言っておきたい。自分の一生だもの、
二回ないんだからね。

これだけの島国で農民が苦労しながら国土を維持したんだ。

文化だって相当なもんだ。

そうした祖先の業績を振り返ってみると、全ては自分をどう
完成させるかという真剣な試みではなかったかと思う。

氏は、84歳の時に、臨時行政調査会の会長職に就任した。
会長を引き受ける条件として、当時の鈴木善幸首相に
以下の四項目を申し入れした。

1.答申を必ず実行する決定
2.増税なき財政再建
3.行政の合理化・簡素化
4.3K(国鉄・コメ・健保)の赤字解消
  特殊法人の整理・民営化・・・民力を最大限活かす
日本が自立・自助の精神を失わないようにすることこそ
行革のスタンスであり、私の哲学である。

やりがい、働きがいは、やってみてはじめて出てくる。
やりもしない、働きもしないで、どうしてそのような喜びが
得られるだろうか。

生きがいにしてもそうだ。精一杯生きる努力をして、
はじめて生きる喜びを知るのだ。

「仕事の報酬は仕事である」とは、藤原銀次郎さん(※)
の言葉である。

賃金と仕事の関わり合いについては、いろんな立場からの
様々な議論があろう。

けれどもそれらを超えていることは、人間の喜びは金だけからは
買えないという一事である。

賃金は不満を減らすことはできても、満足を増やすことはできない。
満足を増やすことのできるのは、仕事そのものだといわねばならぬ。

どんな仕事であろうと、それが自発的主体的に行動できるような
仕事になってくれば、人々はそこから働きがいを感ずるようになるのだ。

【※藤原銀次郎王子製紙社長。日本の製紙王と称された人物。
  戦前の三井財閥の中心人物】