(日本の誇る人物に学ぶ)

日本の誇る偉人に学ぶ(村上 和雄先生)

日本の誇る偉人に学ぶ(村上 和雄先生)村上 和雄(むらかみ かずお)氏は、1936年、奈良県天理市の生まれ、 京大からヴァンダービルト大学を経て現在77歳の筑波大学名誉教授である。先生は、遺伝子工学の世界的第一人者で、1983年に世界に先駆け…

哲学者 梅原 猛氏に学ぶ

梅原 猛先生は、日本を代表する誇りとしたい哲学者である。日本の思想の本質を、人間と自然とを分けない独自の思想と喝破し、 人類の思想的使命は、西洋近代思想を批判して、新しい文明の原理を 造ることにあると諭す。西洋哲学とアジア哲学の本質的な違いは…

津波!! 命を救った稲むらの火(原作 小泉八雲)から

明日、3月11日、午後2時46分は日本国民一人ひとりが 決して忘れてはならない、東日本大震災の2年目です。 皆さんとご一緒に心から「黙祷」を捧げたいと思います。さて、本日は、歴史に学ぶ一貫として、明治の文豪、 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン 18…

人物に学ぶ(大和ハウス工業 樋口武男氏)−1

樋口武男氏は、大和ハウス工業の代表取締役会長兼CEO。創業者である石橋信夫氏から受け継いできたDNAを 「大和ハウス塾」で社内に浸透させ、実体験から生まれる 「世の中の先を狙う事業」を 常日頃から「かきくけこ」を自分自身に語り掛けながら 次々…

人物に学ぶ(大和ハウス工業 代表取締役会長 樋口 武男)−2

人物に学ぶ(大和ハウス工業 代表取締役会長 樋口 武男)−2実体験から生まれる、世の中の先を狙う事業常日頃、自分自身に語りかける「かきくけこ」という言葉がある。 「か」は感動、「き」は興味、「く」は工夫、「け」は健康管理、 「こ」は恋、つまりと…

経営とヒラメキの必要性(中松 義郎氏に学ぶ)

著名な発明家の中松義郎氏の講演会に参加した際の 記録を改めて見直す機会があった。ヒラメキなき企業はつぶれるとし、氏はヒラメキの 定義として、人が考えないことを思いつくこととする。氏が5歳から64歳(1992年当時)の60年間に 発明し、特許を…

金 美齢「メイドインジャパンに回帰せよ」に学ぶ

台湾出身の日本人、金 美齢氏が「メイドインジャパン」に回帰せよ と以下のように日本の将来を憂い、熱く訴えている。日本に帰化した日本人の中で、ある意味、現代の日本人が忘れかけている 日本精神を一番強く持ち、心から日本を愛する人物の一人であること…

アシックスの鬼塚喜八郎に学ぶ

筆者が銀行の神戸法人営業部に在勤当時、 アシックスの鬼塚喜八郎氏にお目にかかる縁があり、 氏が書いた「経営指南」等強烈な生き方に感銘を受けた。鬼塚氏が語る「成功する為の鉄則」は以下の方程式からなる。成功=人生の考え方×その人の能力×やる気・情…

浜松ホトニクスの偉人会長

浜松ホトニクスが宇宙の謎にせまる「ニュートリノ」だけで なく、最近「神の粒子」と呼ばれる「ヒッグス粒子」の発見 に貢献する光センサーを開発したことで世界の注目を浴びている。浜松ホトニクスは、昼馬 輝夫会長(86歳)が1978年から 31年間社…

天皇陛下の訪問企業

毎年、天皇陛下は産業振興に貢献する中小企業を 訪問なされるという。昨年(2012年)は、埼玉県川口市の医療機器メーカー 「メトラン」を7月5日に訪問された。 メトランの新田 一福社長はベトナム出身で 新生児用の人工呼吸器の開発における国内トップ…

「無私の日本人」(磯田道史)に学ぶ

穀田屋 十三郎(1720年〜77年)は仙台近郊の「吉岡宿」の商人であったが 8人の同志とともに衰退した町を救うため、62万石の仙台藩に千両の金を貸し付け その利子を住民に配る仕組みを考えた。この資金を捻出するため、風呂にも入らず、断食をして、…

先人の言葉に学ぶ

本日は、「先人の言葉に学ぶ」テーマで、 松下 幸之助氏と稲盛 和夫氏の二人の言葉に学びたい。【松下 幸之助氏の言葉】経営理念が確立すれば、その事業は半分成功したも同じ。 絶対的条件である経営理念の確立と必要条件の社員の 個性を活かせる環境をつく…

歴史の中の日本(司馬遼太郎)から

「歴史の中の日本」で司馬 遼太郎氏が、 吉田松陰が安政の大獄で捕えれられ、 獄中で綴った「坐獄日録」の中から 以下の言葉を紹介している。「体は私なり、心は公なり」《説明》 私(体)をこき使って、公に殉じる者を大人 といい、公をこき使って私に殉じ…

松平 定信について語る

松平 定信の改革について、現代に役立つ一部を紹介。祖父の徳川 吉宗が残した福祉事業 小石川養生所の運営難を克服するため 幕府だけでなく、地域社会にも負担を求めた。1.公助 2.互助 3.自助 を基本とした。毎月、白河藩の城下町の年寄りを呼び 率直…

出光 佐三に学ぶー2(お互い)

「お互い」ということを世界が求めている 個人主義は利己主義になって、自分さえよければいい、 自分が金を儲ければ人はどうでもいい、人を搾取しても 自分が儲かればいいということになっている。 ところが本当の個人主義というのは、そうではなくて お互い…

出光 佐三に学ぶ(士魂商才)

士魂商才出光興産を起業した出光 佐三氏は、「士魂商才」と題して 以下の言葉を残している。(出光興産 ホームページから引用)「生活を質素にしたり、われわれが経費を節約するというような ことは金を尊重することで、奴隷になることではない。」「それか…

土光 敏夫氏に学ぶ

土光 敏夫氏は1896年9月15日、岡山市に生まれ 1988年8月2日に逝去された。氏は企業再生の神様と呼ばれ、理路整然とした合理的思考を持ち、 常に斬新さを探求し、創意工夫、現場第一主義の大人物であった。氏の言葉;生まれてきた以上、各自がこ…

宮本 武蔵 「五輪書」に学ぶ

宮本 武蔵は有名な「五輪書」の 第一巻「地の巻」に武士の 心掛けを詳述している。武士の兵法を行う道とは、 何事においても人よりすぐるる所を本とし、何時でも役に立つように稽古して 万事に至り、役に立つように教える事 これこそ、兵法の真の道なのであ…

小林 虎三郎に学ぶ

小林 虎三郎(1828〜1877)は越後長岡藩士。家禄百石の家に生まれた虎三郎は、17歳で藩校 「祟徳館」の助教を務めた。23歳の時に藩命で江戸へ遊学。木挽町で西洋砲術 指南の塾を開いていた佐久間象山の門に入る。当時の象山塾には、勝海舟、橋本左内、 …

平櫛 田中に学ぶ

平櫛 田中(ひらくし でんちゅう)は岡山県後月郡(現 井原市)出身 百歳を超えて現役で活躍した日本の彫刻界の巨匠。7歳で平櫛家の養子、15歳から大阪に丁稚奉公、朝から晩まで 身を粉にして働き、26歳から好きな彫刻の世界に入る。 1872.6〜1979.12.…

井深 大氏 語録に学ぶー3

井深 大(いぶか まさる)氏の語録に学ぶ井深 大氏は現在の栃木県日光市生まれ。(1908.4.11〜1997.12.19) 盛田 昭夫氏と共に日本初、世界初の数々の革新的商品を生み出した 「ソニー」の創業者の一人。続き・・・面白い技術を基に、人のやったことがない…

井深 大氏 語録に学ぶー2

井深 大(いぶか まさる)氏の語録に学ぶ井深 大氏は現在の栃木県日光市生まれ。(1908.4.11〜1997.12.19) 盛田 昭夫氏と共に日本初、世界初の数々の革新的商品を生み出した 「ソニー」の創業者の一人。続き・・・日本初、世界初のものを創ってこそ、人よ…

井深 大氏 語録に学ぶ−1

井深 大(いぶか まさる)氏の語録に学ぶ井深 大氏は現在の栃木県日光市の生まれ。(1908.4.11〜1997.12.19) 氏は、盛田 昭夫氏と共に日本初、世界初の数々の革新的商品を生み出した 「ソニー」の創業者の一人である。井深氏の言葉には、日本が世界に誇る…

新松下村塾 塾長 濤川栄太氏に学ぶ

濤川栄太氏は1943.11.22〜2009.4.15 66才で逝去 国家戦略研究会議創立者 新しい歴史教科書をつくる会 副会長 今回「日本の決意」から抜粋■「江戸しぐさ」について かつての日本には、「江戸しぐさ」という美しい文化があった。 うかつ謝…

マハティール氏の日本への助言に学ぶー5

■日本へのメッセージ(1)長引く不況について、日本が失敗したのは新しいシステムであって、 日本がもっていた古いシステムは失敗していないという事実に 日本人は気が付かねばならない。(2)技術革新は日本のお家芸 日本人が日本人の価値観に自信を持て…

マハティール氏の日本への助言に学ぶー4

■ヨーロッパ人の問題解決方法は長い間「力」であった。力の勝るものが戦いに勝ち、全てを得るというシステムが 西欧社会の根底をなしてきたことは疑いがない。産業革命以降の社会も、強者に論理がまかり通る社会システムであった。■東洋の場合、チンギス・ハ…

マハティール氏の日本への助言に学ぶー3

■人生の目的人間は人間が生存している地球において、よりよい世界・ 社会・環境を作るために貢献しなければならない。人間が他の動物と違う点をひとつ挙げろと言われれば、 環境を変える能力を持つこと。人間には、自分の周りの環境を改善する使命が与えられ…

マハティール氏の日本への助言に学ぶー2

一方で、将来のための政府支出を増やす必要がある。政府支出はインフラ整備がとりわけ重要であり、 新しい産業を育て、ヒト・モノ・カネの流れを 加速させることが重要である。日本は力のある国であり、もっとイノベーション ができる筈である。今の日本に研…

マハティール氏の日本への助言に学ぶ

【マハティール氏の日本への助言に学ぶ】 KNOCK無名塾 Mahathir bin Mohamad (マハティール・ビン・モハメド)1925.7.10生 英領マラヤ時代マレー半島クダ州に生まれ、開業医から政治家へ転身 第4代のマレーシア首相に就任…

豊後の三賢人、広瀬淡窓に学ぶ

豊後の三賢人と呼称されるのは、三浦梅園、帆足万里、そして広瀬淡窓である。 本日は、この広瀬淡窓(ひろせ たんそう)[1782.5.22〜1856.11.28]に ついて触れたい。広瀬 淡窓は江戸時代の儒学者で豊後(現在の大分県)日田市の人である。 「咸宜園」(か…