歴史の中の日本(司馬遼太郎)から

「歴史の中の日本」で司馬 遼太郎氏が、
 吉田松陰安政の大獄で捕えれられ、
 獄中で綴った「坐獄日録」の中から
 以下の言葉を紹介している。

「体は私なり、心は公なり」

《説明》

 私(体)をこき使って、公に殉じる者を大人
といい、公をこき使って私に殉じる者を小人
(つまらぬ男)という。
小人の死は、その肉体が腐燗するだけのことだが
大人は死すとも天地の理の中で生きている。

 人間はどうせ死ぬ。寿命の長短は宇宙の悠久から
見れば、たかが知れており、結局は「心は公」
ということで、生命をこき使い、それによって
何事かをする以外、人生の意義はない。

「かくすれば、かくなるものと知りながら
 やむにやまれぬ大和魂

吉田 松陰が若干29歳の若さで死を覚悟しながら、
後世に、名を遺した偉業と凄絶な人生観が迸る。

今の日本にかくなる人物が現れてほしいと感じる
のは筆者のみであろうか。