長與 専齋に学ぶ

長與 専齋(ながよ せんさい)は肥前の国大村藩(現在の長崎県大村市
の歴代藩主の侍医の家に生まれる。(1838.10.16〜1902.9.8)
岩倉使節団に加わり、公衆衛生の重要性を日本人として初めて認識した人物。

伝染病の予防と対策治療には単に病院と医学校を作ることでなく、
上水道・下水道・ゴミ清掃から始まり、便所・排水など建物の建て方、
貧民の救済、更には薬品・染料・飲食物の規制まで多岐に亘る対策が必要で
あることを学んだ。

英語のサニタリー、ドイツ語のザニテーツに相当する言葉を「衛生」と訳した
のは長與。
内務省衛生局、今日の厚生労働省の起原となった。

長與が取り組んだ衛生局の多方面の活動に、後藤新平が常に関わっており、
懐刀と見做されるようになった。
北里柴三郎は後藤の部下として配属された。