「無私の日本人」(磯田道史)に学ぶ

穀田屋 十三郎(1720年〜77年)は仙台近郊の「吉岡宿」の商人であったが
8人の同志とともに衰退した町を救うため、62万石の仙台藩に千両の金を貸し付け
その利子を住民に配る仕組みを考えた。

この資金を捻出するため、風呂にも入らず、断食をして、8年がかりで成就した。

利子は町人全員に均等に分配し、後に、藩から個人に与えられた報奨金までも
自分は受け取らなかったという。

穀田屋 十三郎は、子孫に対し、先祖が偉いことをしたと言ってはならない
と戒めたため、子孫は多くを語らないとのこと。

「我が家が善行を施したなどと、ゆめゆめ思うな。何事も驕らず、高ぶらず
地道に暮らせ」穀田屋 十三郎が子孫に残した言葉であった。

この文章は、月刊誌SAPIOの中に河合香織氏が紹介した記事が出処である。

江戸時代中期、地方の商人にも、高徳の志を持つ偉人が存在していた史実に
接し、改めて当時の日本人の「無私の心」、公に報じる心を持つ先人の存在に
心を打たれた次第である。