津波!! 命を救った稲むらの火(原作 小泉八雲)から

明日、3月11日、午後2時46分は日本国民一人ひとりが
決して忘れてはならない、東日本大震災の2年目です。
皆さんとご一緒に心から「黙祷」を捧げたいと思います。

さて、本日は、歴史に学ぶ一貫として、明治の文豪、
小泉八雲ラフカディオ・ハーン 1850〜1904)が
1897年に「A living God」(生ける神)を創作した
基になった物語が日本にあり、その概要をお伝えしたいと
考えます。

時は、安政岩元年(1854年)12月23日に安政
東海地震マグニチュード8.4)12月24日には、い
安政の南海地震マグニチュード8.4)が発生し、各地に
大被害をもたらしました。

この南海地震では、房総から九州までの広い範囲で津波が観測
され、津波の高さは最高で30Mを超える規模でした。

物語「稲むらの火」は、この津波に襲われた、紀州和歌山藩
広村を舞台に、浜口五兵衛(実在の人物浜口儀兵衛)の活躍を
描いたものです。

浜口家は総州(千葉県銚子)で醤油造りを始め、現在のヤマサ醤油
を経営する先祖の話です。

ある時、五兵衛は人を驚かすような地震でなかったが、長い、のろい、
ふんわりとした揺れを感じ、海に目をやると、風とは逆に、波が
動いていて、波は海の沖の方へ、沖の方へと退いていたのに気が付きました。

これまで一度も見たことのない風景でしたが、子供のころ、おじいさん
から聞いた話を思い出しました。

五兵衛は孫にすぐにたいまつを持ってこさせ、穫り入れたばかりの
自分の稲むらに火をつけてまわり、村人が誰かこの火に気付いてくれること
を祈りました。早鐘をならし、この音と早鐘に気づいた村の人々が
かろうじて避難を終えたところに巨大な津波が襲ってきて、一つの
村が壊滅しました。


浜口儀兵衛は、津波の被害を受けた広村の人々のために、私財を
なげうって、握り飯の炊き出しや、仮設住宅の建設を行い、
仕事を失った人々のために仕事をつくり、災害防止のため、
長さ600M、高さ5M、幅20Mの堤防まで建設しました。

その後、この堤防は、広村堤防と呼ばれ、1946年(昭和21年)
に発生した、昭和の南海地震津波から広村の人々の人命を守りました。

八雲が「生ける神」を出版して40年後、浜口儀兵衛の実話に感動した
中井常蔵(1908〜1994)という一人の小学校教師が
この話を全国の子供たちに知ってもらおうと、文部省に働きかけ
稲むらの火」として1932年から10年間、小学国語読本に掲載
されたとのこと。

こうした先人の話が、子孫に語り継がれて、防災の知識や知恵と
なって、生存に繋がることが、過去の歴史に学ぶことができる。

明日の2年目を迎えるに際し、心に留めおきたい史実として紹介
した